アンドレス・イニエスタとルーカス・ポドルスキの共演デビューとなった、J1第21節ヴィッセル神戸対ジュビロ磐田は、2-1で神戸が勝利を収めた。
その直後、サッカー代理人の田邊伸明氏が興味深いツイートを行っていた。おそらく試合を受けての感想だろう。
『欧州サッカー見てる人はみんなパススピードの違いをかなり昔から知ってる。指導者の皆さんが、バルサ、バルサって騒いでいるわけだから、指導者も知っている。でも少なくとも前後にチーム全体が早くなっただけで15年経ってもちっともパススピードは上がらない。なんでだ。』(ツイートより引用)
とても重要な指摘だ。
対戦カードにもよるが、やはり私もロシアワールドカップが終わって日本に帰国したとき、最初に見たJリーグの試合は「遅い」と感じた。もちろん、この時期で言えば、酷暑環境は大きな要因に違いない。運動量を出せない中でパススピードをむやみに上げると、サポートが間に合わず、間延びしがち。また、ミスしてボールを失い、繰り返し守備に走るのも辛い。ゆっくりとパスを回そうとするのは理解できる。
しかし、同じ環境でプレーするイニエスタやポドルスキを見ると、彼らのパススピードはやはり違った。テンポがある。速く、早く、正確だ。攻撃にアクセントが付いていた。神戸の選手も彼らのリズムに引っ張られるように、全員のプレースピードが上がっている。決して環境だけを理由にはできない。
パススピードを上げる意味
なぜ、Jリーグのパススピードは上がらないのか? あるいは上がっても、なぜ一時的なもので終わってしまうのか。その理由は中長距離のパス技術、あるいはミスに対する許容度などもあるが、根本的に言えば、認知の問題だろう。
10年ほど前、サッカー解説者の小倉隆史さんにこんな話を聞いた。1993~94年に小倉さんはオランダでプレーしていたが、サイドチェンジのパスをインフロントキックでカーブをかけてふわりと蹴ったとき、味方の選手に「何だ、それは?」と呆れられたことがあったそうだ。
せっかくサイドを変えても、パススピードの遅いキックでは、相手にスライドする時間を与えてしまう。むしろ、受け手が追い込まれるかもしれない。それではサイドチェンジの意味がない、と。
なぜ、サイドを変えるのか? その理由は、相手の薄いところを突くためだ。速いサイドチェンジだからこそ、受けた選手が時間とスペースを得て、多彩な仕掛けが可能になる。だからサイドチェンジは、インステップキックでビューン!が基本。パススピードを上げることに、必然性があるわけだ。
同様の必然性を、クサビに見ることもある。バイエルン時代にペップ・グアルディオラが「カウンターの国」と評したドイツでは、低いクサビをインステップキックで蹴り、FWにビューン!と当てるシーンを時折見かける。つまり、相手がプレスバックする前に、素早く当ててダイレクトに勝負したいわけだ。やはりそこにも、パススピードを上げる必然性がある。
パススピードの差は認知の差
横パス一つを取っても、同じことが言える。相手がジョギングでスライドして間に合うような横パスは、どんなに回しても、相手が困らない。逆に、スプリントしなければ間に合わないようなパススピードで回されたら、仕掛けるところまで行けなくても、相手は振り回されて疲弊する。いつか、守備に穴が空くだろう。
パススピード云々よりも、それを上げる理由が、プレーの習慣に染み込んでいるかどうか。そこが最も重要なところだ。
インステップキックの精度も、トライするからうまくなる。しかし、それが相手の守備に与える影響を認知していなければ、わざわざ速いキックにトライする意味がない。「世界のサッカーがそうだから」というのは、いかにも3日坊主で終わりそうな動機付けだ。熱が冷めたら、結局ミスの少ない蹴り方に落ち着いてしまう。それも必然。
パススピードの差は、技術の差ではない。認知の差だ。
パスの速さと遅さの上下幅
それを感じる場面は、磐田戦でも多かった。たとえば前半13分、右サイドに開いたポドルスキから、速いミドルパスがイニエスタに入った。意味もなく、パスが速かったわけではない。右サイドに磐田の守備が集中し、周囲の味方がマークされる中で、逆サイド寄りにいるイニエスタがフリーになっていた。もし、そこにふわっと遅いパスを蹴っていたら、どうなったか。すぐにイニエスタは寄せられ、その後の古橋亨梧への絶妙なループパスという未来は消えたはず。ポドルスキの速いパスには、必然性があった。
私の印象では、パスの単純な速さだけではなく『パススピードの遅さと速さの上下幅』が、日本の選手は小さい。一言で言えば、リズムが単調なのだ。
たとえば、ポドルスキのパスは速さだけでなく、遅さにも必然性があった。前半36分のシーン。ウェリントンのパスを受けたポドルスキは、郷家友太に短いパスを出すと同時に、郷家の背後を走って、ワンツーからシュートを試みた。これはドイツサッカーで言うところの『ヒンターラウフェン』。ヒンターは後ろ、ラウフェンは走る、という意味だ。
このとき、ポドルスキのショートパスはむしろ遅かった。ボールが転がっている間に、パス&ゴーで中へ走り込む時間を作っている。このシーンは結局、郷家が自ら縦に仕掛けたため、ねらいは水泡に帰したが、ポドルスキに付いてきたDF小川大貴はボールが全く見えない体勢だったので、リターンパスが出れば、ダイレクトシュートに持ち込む可能性は高かったはず。あえて遅いパスで、自分がシュートを打つ状況を作った。
速いだけではない、緩急の使い分け
イニエスタもポドルスキも、決して速いばかりではない。遅いパスも使う。近い距離では遅く、早く。ワンタッチで正確に回せるように、遅く正確に出して、テンポを上げる。かと思えば、急激に速いサイドチェンジ、あるいはウェリントンへの速いクサビをねらったり。この振幅が彼らのパスを、よりキレのあるものに感じさせるのだ。
コースだけでなく、タイミングでも相手を動かす。それが認知、アイデアの差だ。
この手の習慣は、何かの流行りのように表面的に向上することはあっても、いつの間にか元に戻りがち。田邊氏のツイートにあった「前後にチーム全体が早くなっただけで15年経ってもちっともパススピードは上がらない」という状況だ。話は違うが、ハリルホジッチの『デュエル』も、同じ道をたどるかもしれない。
イニエスタの影響力
今夏にイニエスタが加入し、神戸のサッカーは間違いなく面白くなった。それはクラッキの極上のプレーに限らず、日本人選手のパフォーマンスも変わりつつある。神戸の未来はとても伸びやか……に思える。
だが、何となく引っ張られるようにプレーするだけでは、質の向上も、スピードの向上も、すべて一時的なものに留まり、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう。「15年経ってもちっとも……」。そんなことを2033年にボヤく羽目になったら、寂しい。
イニエスタは「私は自分のチームを助けるために、自分のサッカーをお見せするために日本に来ました。それによって、クラブや日本サッカーがより一層発展することを祈っております」と、来日直後の会見で語っている。
彼がプレーする期間は、森保ジャパンの活動期間ともピッタリ重なる。その影響力は多大なものになるかもしれない。
もっともっと、語ろう。世界のクラッキを。彼らが刺激する、認知とアイデアを。(文・清水英斗)
写真提供:getty images