もうFIFAワールドカップ・ベスト8は達成した。ということでいいと思う。
2010年、2018年、2022年と、日本は直近4大会で3回、ラウンド16に駒を進めた。これを「またベスト8の壁に阻まれた!」と捉えた人は多いかもしれないが、筆者はそうは感じない。
むしろ、この舞台にはいつでも立てるようになった。日本にとって、ここはいつでも来られる場所になったと実感した。少なくとも、上記3大会で成功した一体感を生み出すチームビルディングを捨てない限りは、そう断言できる。
ベスト8を前提に、一番足りないと客観的に指摘できるのは、PK力だ。2010年も今回も、PK戦に勝ちさえすれば、ベスト8達成だった。2018年もPK戦に自信があれば、ロストフの悲劇は存在せず、PK戦に持ち込む選択肢があり得た。
ベスト8を前提に話せば、PK戦に1回勝ちさえすれば、それでいいのだ。現状のやり方を維持しつつ、PK戦さえ入念に準備すれば、ベスト8は達成できる。
現状維持とPK力向上
今回はグループステージを首位通過したので、仮にフランスやブラジルといった化け物勢が隣のグループにいたとしても、対戦を避けられた。
現状維持とPK力向上。この方針で行けば、確実に、数大会以内にベスト8は達成できる。これが最も確かな近道だ。
……だが、それでいいのだろうか。
FIFAワールドカップは4年に一度しかない。PK戦だけを伸びしろに過ごす4年間は、正直しんどい。物足りない。そう感じるということは、もはや『ベスト8』の目標設定自体が、日本にとってふさわしくないことの証明だろう。
大口を叩いているように映るだろうか。今回の日本代表について、国内では「快進撃だ、サプライズだ」と驚きをもって報じられているが、海外では「もはや日本の勝利はサプライズではない」とする論調が多い。それだけの実績を挙げているからだ。客観的に見れば、それが当然の見方になる。
いつまでも「壁ガー壁ガー」と、すぐそばの壁に怯える4年を過ごすのはまっぴらごめんだ。もうベスト8の壁は、無いものと認識したほうがいい。
次の目標はベスト4
とはいえ、いきなり目標を「FIFAワールドカップ優勝!」とまで公言すると、海外のチームやメディアが「他チームへのリスペクトを欠く!」とアレルギーを発するので、色々な意味で、次の目標はベスト4が妥当だろう。
ベスト4を目標に設定すると、やるべきことが変わってくる。
ラウンド16ではグループを首位突破することで避けられた化け物勢との戦いも、準々決勝では避けられない。今回、日本がクロアチアに勝っていれば、次の対戦相手はブラジルだった。ブラジルに勝たなければ、ベスト4は不可能。
そう考えると、アプローチは自ずと変わってくる。ブラジルを相手に、アジャストして戦うだけでは、PK戦に持ち込むことすら難しいのは、多くのチームが証明済みだ。
時にはブラジルにアジャストさせるくらい主導権を握ることが必要であり、加えて、個人も今のレベルでは全然足りない。その点は選手たちが口々に言う、『次の課題』につながってくる。
それは単に、個人個人がやりたいと散漫に抱く課題ではなく、ベスト4を目標に掲げるからこそ、チームとして意思統一できる必然の課題になる。だからこそ繰り返すが、日本は目標を変更したほうがいい。今の目標のままでは、方法論を統一するのに困難を伴う。
「ベスト8もまだ達成していないのに…」といった無用の壁を置きたがる声は、スルーしたい。ある困難に立ち向かうとき、賢者は橋をかけ、愚者は壁を作るものだ。
PKに必要なもの
ただし、ベスト4を新たな目標に掲げたとしても、PK力の向上は必要だ。4年をかけるのはトゥーマッチとしても、放置できる課題ではない。
PKは技術、駆け引き、メンタルがキーポイントだ。
今回の日本のキッカーは、ほぼ全員がグラウンダーのシュートで阻まれ、決めた浅野拓磨もコースは甘かった。技術的に優れた勝負はしていない。
駆け引きと言えば、三笘薫と吉田麻也は身体を開くような体勢から、身体を閉じて左へ引っ張るコースの駆け引きが少しあったが、GKリヴァコヴィッチはそれには惑わされなかった。
それよりも4人共に、タイミングの駆け引きが全く利いていない。これが問題だった。
GKは一度、重心を沈ませるモーションを入れなければ、左右の遠い場所にはダイビングできないので、GKが沈むタイミングを、キッカーが外して蹴れば有利になる。PKの駆け引きはコース以上に、相手GKのタイミングを外すことが肝だ。
ところが、日本のキッカーは助走が短く単調で、「せーの」でGKリヴァコヴィッチにタイミングを合わされてしまった。
東京五輪との違い
帰国会見では吉田麻也が、東京五輪ニュージーランド戦でPK戦に勝利した例を挙げている。その当時を振り返ってみよう。
(詳しくは「PKは運? 技術? 日本がニュージーランドに圧勝したPK戦を徹底解説」を参照。 )
1人目の上田綺世は短い助走だが、かなり際どいコースへ蹴っていた。今回の4人のキッカーにはいないタイプであり、技術で決めたゴールだった。
2人目の板倉滉は、助走のコース取り、緩急共にかなり駆け引きをしている。非常に巧みなPKだった。3人目の中山雄太は、引っ張ると見せかけて流し打ち。駆け引きをしつつ、蹴ったコースもポスト際と、技術と駆け引きのアベレージが高かった。
こうやって振り返ると、あの試合のキッカーは3人共にPKがうまかった。今回のクロアチア戦では、その3人が誰もピッチにいなかった……惜しい。
そして当時も今回も、吉田は4人目のキッカーだったが、五輪もクロアチア戦も蹴り方は同じだ。ただし、五輪のニュージーランド戦では、GKの機先を制する効果があった。
上田、板倉、中山はいずれも笛が鳴ってもすぐに助走しなかったり、キックに時間をかけたりする傾向が強かったが、吉田は笛が鳴るや否や、あっという間に助走して、思い切りよく蹴った。
言わば、変化球、チェンジアップ、変化球からの、ど真ん中ストレートで見逃し三振。吉田は伏線を回収するかのように、GKの機先を制した。五輪ニュージーランド戦のPKは、日本が優れていたと思う。
早蹴りで止められる
ところが今回の吉田の早蹴りは、意味が違う。南野も三笘も浅野も、タイミングは真っ正直で、ほとんどタメはなかった。
つまり、ストレート、ストレート、ストレート、吉田もストレート。これを見逃すGKはいない。
やはり吉田も、ぴったりタイミングを合わされてしまった。ニュージーランド戦の駆け引き上手は、偶然だったのかもしれない。この2つのPK戦は比較するのが難しいほど、質の差があった。
付け加えるなら、誰もが手を挙げるのを逡巡する雰囲気の中で、一番手を買って出た南野は、強い気持ちを持ってペナルティースポットへ向かったはず。権田修一や、リヴァコヴィッチと「ほぼ同じタイミング」で。
ところが、1人目の先手キッカーの前には、レフェリーからPK戦の注意事項がGKに与えられるのが通例だ。南野はその間があることを想定していなかった様子で、スポットの前でボールを持ったり、置いたりと、手持ち無沙汰で待たされた。どうせその時間があるのだから、もっとゆっくり後から向かっても構わないのだが。
この時間が思いの外、長い。試合中のPKでも、審判やキッカーの周りをウロチョロして時間をかけさせ、キッカーにさっさと蹴らせない、変な間を作ってプレッシャーをかける駆け引きをよく見かける。
南野の場合は、その間をレフェリーに作られてしまった。余計な思考、迷い、揺れが生まれがちな嫌な間を。もちろん、レフェリーに落ち度は何一つない。
準備が足りないのは明白
一般的に話題になっている挙手制と指名制については、どちらでもいい。チームの性格によって向き不向きがあるだけだ。それより大事なことは、PK戦に対する準備、イメージ作りが足りていたのかどうかだ。
クロアチア戦の翌日に選手に聞いたところ、PK戦の練習は行っていたが、GKリヴァコヴィッチの特徴や分析についてチームから伝えられたことはなく、個人それぞれの分析でやっていた、とのこと。間のとり方、実際の想定、相手の想定、すべてに準備が足りないのは明白だった。
たとえば挙手制にしても、GKリヴァコヴィッチの特徴を伝えた上で、「このGKは下に強いからズバッと上に蹴る選択肢を持っておきたい。それを持てる人?」といった立候補の募り方なら意味合いは違うのではないか。
また南野は5秒間、誰も手を挙げない様子を見て名乗り出たそうだが、それはつまり、自信を持って蹴りに行ける選手が誰もいなかった、ということでもある。
その空白の5秒は、言わば「ごめん。オレたちには決められない…」とギリギリの状況で監督にすがる、無言のメッセージとも受け取れる。
その様子を見て、指名制に切り替える。スペイン戦は選手の対応力で勝った面が大きかったが、ドイツ戦は森保監督の采配に助けられた、と思っている選手は多い。
キッカーとして今一つ確信を持てない選手たちに、「自分が選んだから大丈夫だ! オレの采配は当たる!」と監督がお墨付きを与える。ともすれば、選手はそれを求めていたのではないか。
イメージトレーニングの効果
上記に妄想がたっぷり含まれていることは否定しないが、強調したいのは、挙手派と指名派でバトルをする必要はない、ということだ。
そもそもチームの性格にフィットすることのほうが大事であり、その中でも、条件付き挙手制であったり、状況を見て指名制に切り替える。それこそアジャスト(対応力)であり、柔軟な考え方がPK戦においても必要だったのではないか。
ただ、それを踏まえても、今回はPK戦の準備そのものが足りていなかった。この準備では対応力を出すのも難しかったので、大きなミスだった。
もう一つ。準備と言えば、メンタルについては本番のプレッシャーは練習できない、と言われているが、本当にそうだろうか。
たとえばVR技術を使って、つんざくような指笛の音、匂い、肌に突き刺さる声援の風圧、ペナルティースポットに一人立ち尽くす感覚。そうした五感に響く環境要因を可能な限り再現し、イメージトレーニングの効果を上げる方法は突き詰められないだろうか。
ベスト4を目標とした上で、その課題の一つにPK戦を設定すれば、出来ること、やるべきことは変わってくる。実践で試せる場は、現状アジアカップくらいだが、そこでは良い準備と練習をしたいところだ。
代表監督は積み重ねが前提
最後に、次の監督について。
2010年、2018年のグループステージ突破でキーポイントになった、選手主体のマネージメントによる一体感の醸成と、さらに今回は相手に応じて本番でアジャストしていく対応力、大人のサッカーが出来ることも示した。
仮にJFA(日本サッカー協会)が、森保監督以外の誰かを新監督に招聘するとしたら、これらの『積み重ね』を引き継げる人であることが前提だ。それこそが、日本代表のステップ・バイ・ステップ。積み重ねになる。
このステップ・バイ・ステップを捨て、完全に新しい監督を呼んで、その人のやり方に全振りすれば、それはスクラップ&ビルドのスタートだ。
その場合、次の目標は『ベスト8』を維持したほうがいい。根幹からドラスティックに変えてしまえば、今までの実績は当てにならないからだ。
監督人事について、誰になったとしても継続性は大事にしたい。2010年大会で守備的だったことを猛省した結果、2014年大会では理想を追い求めて玉砕した。
右の壁にぶつかった後、ハンドルを切りすぎて、今度は左の壁にぶつかる。10年前の日本代表は下手なドライバーだった。しかし、もう2022年だ。そこからは脱却したい。
マンネリ化の危険
今後は主導権を握るサッカーに、リスクを負ってトライすると思われるが、相手や状況によってはアジャスト型に切り替えられるよう、ハンドルの遊びを作り、継続性を持って前へ。
森保監督が続投する場合、こうした継続性が保証されるのはメリットだが、一方で考えなければならないのは、マンネリ化の危険だ。ここから先、本当に森保監督は主導権を握るスタイル、ベスト4を目指せるサッカーについて、伸びしろを作ることができるのか。
2018年11月、森保監督就任後、間もない時期に書いたコラムを改めて読んだが、そこで自分は森保監督のことを『スポンジ監督』と表現していた。
森保監督はミハイロ・ペトロヴィッチから戦術を、西野朗からマネージメントを、ヴァイッド・ハリルホジッチから個人を強化する戦略を、様々な形でコピーし、自分のものにしてきた。裏を返せば、彼自身のオリジナル型は無い。
それこそが代表監督だ。時間が限られる中で、オリジナルを仕込もうとする指揮官は代表チームには向かない。
代表監督は欧州在住に
吸収力の良いスポンジに、いかに養分を吸わせるか。森保監督はヨーロッパに勉強に行くことを望んでいるそうだが、ならば選手も、欧州組が大半を占める昨今、代表監督は欧州在住にすればいい。今のスタッフチームを、欧州と日本に分けるのだ。
代表監督としてなら、欧州クラブのトレーニングを視察できるし、監督とも膝を交えることができる。外国人コーチを雇うにしても、欧州在住なら日本移住よりもハードルが下がるし、候補者とも直接コミュニケーションを取れる。メリットが多い。
スポンジ監督には、環境を与えることが何より大事だ。ここはJFAに良い仕事をしてほしい。コロナ禍のマッチメーク、東京五輪前のマッチメーク、ワールドカップ前のマッチメークなど、強化部はこの4年間、辣腕を振るう場面が多かった。期待したい。
スポンジ監督に栄養を。それ次第で4年後、日本代表はさらに化ける。目標はベスト4でよろしく。(文・清水英斗)
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