『悲劇』を力に変えられる世代によって『ドーハの奇跡』は成された

COLUMNミムラユウスケの本音カタール 第10回

『悲劇』を力に変えられる世代によって『ドーハの奇跡』は成された

By ミムラユウスケ ・ 2022.11.25

シェアする

11月23日、スポーツ新聞がこぞって一面で日本代表の金星を報じた。ただ、新聞社によって、大きく以下の2つの表現にわかれていた。


「ドーハの奇跡」と「ドーハの歓喜」。


「ドーハの奇跡」というのは、FIFA ワールドカップ優勝4回、決進に8回も進出しているドイツ相手に勝利を収めたことをシンプルに表現したものだ。


一方の「ドーハの歓喜」には、対義語が存在する。1993年10月、FIFA ワールドカップ 1994 アメリカのアジア最終予選においてアディショナルタイムの失点のために本大会の出場権を逃した日本の「ドーハの悲劇」を念頭に、考えられた言葉だ。



『ドーハの悲劇』以降に生まれた世代が過半数


初戦となったドイツ代表との試合の後、今回の快挙をどのように表現すべきかについて、当事者である久保建英はこう話した。


「僕が名前をつけるわけではないので。国民のみなさんがつけてくれたらいいのかなと」


久保は2001年6月4日の生まれだ。「ドーハの悲劇」のときはもちろん、その4年後に日本代表がFIFA ワールドカップ初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」(*ジョホールバルというのは出場を決めたイラン戦が行われた都市名)のときにも、生まれていなかった。


なお、今回のメンバー26人のうち過半数を超える16人が「ドーハの悲劇」以降に生まれている。ドイツ戦でゴールを決めた浅野琢磨(1994年11月10日生まれ)も堂安律(1998年6月16日生まれ)もその16人に含まれている。


悲しい歴史を知らない者たちは、“恐れを知らない”。今では日本の攻撃陣の主役となった鎌田大地はドイツ相手の勝利をこう表現した。


「今の僕らのメンバーを見ると、間違いなく、歴代最高だと思うし。確かにドイツ代表の方が個々の選手のクオリティーは高いかもしれないけど、『自分たちにも勝つチャンスはある』と僕は言ってきましたよね? こうやって僕たちがやるべきことをすれば、どのチームが相手でも十分なチャンスがあるということは証明できたと思います」



『恐れを知らない』は『現実を知らない』ではない


ただ、このチームの面白いところは、大半の選手たちは”恐れを知らない“ながらも、都合の良い夢を”描かない“というところにある。


「都合の良い夢」とは、強豪ドイツを相手に、試合内容でも圧倒して勝利という結果をも手に入れるようという、妄想と理想を混ぜたようなイメージのことだ。都合の良い夢を抱いて戦うことの問題点は、目の前の対戦相手以外とも向き合あう必要性が出てきてしまう。仮に良いイメージしか持たないまま試合に挑み、苦しい展開に直面した場合、自分たちのイメージとのギャップにも苦しめられることになる。つまり、2つの敵と同時に戦っているような状況になるわけだ。心理的に大きなプレッシャーのなかでプレーしないといけない。大変なことだ。


2つの敵に日本代表が苦しんだ代表例と言えるのが、FIFA ワールドカップ ブラジル 2014の初戦である。「FIFA ワールドカップ優勝」を合言葉に挑んだ大会で、日本代表はコートジボワール戦で苦戦を強いられた。


優勝を目指すチームなのだから、コートジボワール相手にも良い戦いをして当然だというイメージを選手たちは持っていた。そのため、百戦錬磨のコートジボワール代表と、自分たちの抱いていたイメージとのギャップの両方に苦しみ、悪夢の逆転負けを喫してしまった。そして、グループリーグで敗退した。


そのような先輩たちの苦い経験を伝え聞いている現在の代表選手たちは、FIFAワールドカップとはそういうことが起こりえる大会だと理解して、今回のドイツ戦に挑んでいた。


だから、「恐れを知らない」彼らも、ドイツの強さを事前に頭に叩き込めていたのだ。「恐れを知らない」ということは、「現実を知らない」ということを意味するわけ“ではない”。むしろ、理想的な試合イメージと現実とのキャップで苦しまないために、最悪の状況をイメージしたうえで準備していたのが今回の代表チームだった。具体的には以下のようなことを試合前の選手たちは考えていた。


・力のあるドイツに攻め込まれるのは当然のこと。

・日本がボールを持つ時間が短くなる展開は避けられない。

・ドイツに先制点を奪われる可能性は十分にある。


だからこそ、前半の苦しい戦いを耐え切れたし、先制を許したあとにも動じずにいられたのだ。



劣勢になる時間をポジティブに受け入れている


例えば、9月に怪我をしたあと、ドイツ戦で初めて90分間プレーした板倉滉。失点した直後に少しも頭を下げることなく、守備の中心として、チームメイトに向かって手を叩いていた。トーンダウンしそうな状況で仲間たちを鼓舞できた理由について、彼はこう説明している。


「ドイツ相手だったので、1点とられてしまうことはありえます。(試合前には)そういう状況も想定していたので。だから、『一喜一憂している場合じゃない、ここで落ち込んだら一気にやられてしまう相手だ』と(味方を鼓舞した)」


もっと踏み込んで語ったのは、右サイドバックとして、圧倒的な経験値を誇る酒井宏樹だった。


「結果論になりますけど、先に1失点したことが“良かった”と思います。あそこで失点したことによって、チームにまとまりが生まれました。(失点したために)後半からシステムを変えていくぞとなって……。(日本のフォーメーション変更により流れが変わったあとの)後半45分間でドイツは修正できなかったですし、(先制を許したことが)僕らに有利になったのかなと思います」


酒井は「結果論」だと語っていたが、実際に、選手たちは自分に言い聞かせるように、あるいはメディアを通して日本のファンに呼びかけるように、そうしたメッセージを試合前から積極的に発していた。例えば、現在のチームでサッカーの魅力を言葉でも伝える能力の高い田中碧は、試合前にこう話していた。


「ドイツ相手に受けに回ってしまう展開もあと思います。では、そういうときにどうやって盛り返すのか。(自分たちが)ボールを握って試合を盛り返すのが1番の理想ですけど、守備から盛り返すこともできれば、それは1つの手段になる。そういう意味は、守備から流れを作るというのはまた、すごく大事なことなのかなと思っています」


ドイツ戦の逆転劇は、後半開始時から冨安健洋を送り込み、センターバックの選手を1人増やして守備を安定させることで、攻撃の選手たちがリスクを冒して前に出ていきやすい状況を作ったからこそ達成されたものだった。



『悲劇』を力に変えられる世代


時代は、変わった。


「ドーハの悲劇」を知らない世代の選手たちは、ドイツ代表に勝つことが「奇跡」と称されることを理解したうえで、「奇跡」を起こすための準備をできる者たちの集まりだ。


大切なのは、「ドーハの悲劇」のような印象的なフレーズに振り回されることではない。先輩たちが味わってきた苦い経験から学び、それを現在の自分たちの力に変えることなのだ。


あの悲劇を知らない選手たちが過半数を占めるようになったチームは、怖いものも、実際の悲劇も、知らないかわりに、勝つために大切なことにフォーカスして取り組めるようになった。この現実こそが、日本サッカー界が「ドーハの悲劇」を本当の意味で乗り越え、それを養分として、新しい時代を迎えていることを証明しているのではないだろうか。


写真提供:getty images

シェアする
ミムラユウスケ

ミムラユウスケ

2009年1月にドイツへ移住し、サッカーブンデスリーガを中心にヨーロッパで取材をしてきた。Bリーグの開幕した2016年9月より、拠点を再び日本に移す。現在は2か月に1回以上のペースでヨーロッパに出張しつつも、『Number』などに記事を執筆。W杯は2010年の南アフリカ大会から現地取材中。内田篤人との共著に「淡々黙々。」、近著に「千葉ジェッツふなばし 熱い熱いDNA」、「海賊をプロデュース」がある。

このコラムの他の記事

おすすめ動画